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初代 浪花亭駒吉

初代 浪花亭駒吉


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天保13年。出生地は定かでないが、一説には江戸とも名古屋とも云われる。師匠は名古屋の語り手である浪花家辰之助。生来の悪声だった駒吉は「見込みがない」と師匠辰之助より破門される。東京に出て市内、埼玉、群馬各所に出向き、祭文を聴いて歩いた。その時期に説経浄瑠璃の日暮竜卜と知合い祭文に三味線を使う事を教えられる。そしてこの修行中に三味線の名手戸川てると巡り合う。てるは駒吉の人間性と悪声ながら変わった節を使う事に興味を持ち、駒吉の合三味線となる。その後、駒吉はそれまでの低調子を関東節の高調子に改め、浪花亭駒吉として新しい節作りに打ち込んだ。数年後、浪花亭独特の十八通りの約節を完成。マクラから地節、早節、流星、四ッ間、説教、観音、じせい、カン違い、大攻め、中攻め、小攻め、言葉攻めなど、現在まで続く関東節の基礎を確立する。浪花節を大道芸から完璧な寄席芸に仕上げ、定着させた功労者として桃中軒雲右衛門と並んで称される。生涯に228種の外題を読み、そのいずれもが16段に構成されていたという。駒吉によって興された浪花亭の流派は関東浪界の主柱であり、その直門に重勝、浜勝、綱吉(二代駒吉)辰雄、峰吉、駒右ェ門、浅造、〆太など多くの看板を生んだ。
そして綱吉(二代駒吉)門下から愛造、重勝門下から重松、重友、重正、その系統から友衛、友忠、重行、松太郎、友信、二代重松、重浦、国友忠、若衛。駒右ェ門門下から駒造を、その系統から綾太郎、三門博などを輩出。まさに関東節の開祖である。明治39年64歳没。

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